「霊的な欠乏感」(2020年1月26日 週報巻頭言  牧師 藤井秀一)

5000人以上の人々にパンを与えたイエスさまの奇跡のあと、再びパンを求めてやってきた群衆たちイエスさまが「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と言われた個所がヨハネの福音書にあります。

「朽ちる食べ物」の原意は「失われる食べ物」です。あらゆる食べ物は、食べたあと一時空腹を満たして、なくなってしまいます。その意味で、食べ物だけではなく「一時的な満足」を与えるだけでなくなってしまうあらゆるものが、イエスさまの言われる「朽ちる食べ物(失われる食べ物)」と言えます。

わたしたちの行動は「目の前の問題を解決したい」「欲求を満たしたい」という「欠乏感」から出発するものがほとんどです。お腹がすいたらパンを食べ、体が痛ければ病院に行き、成功したいので目の前の課題にチャレンジします。それは常に「欠乏感」から出発し、それを満たそうとする営みです。その行動でいっときは「欠乏感」が満たされても、時がたてばまた「お腹は空き」「病になり」「もっと上に」と「欠乏感」はやってきます。この欠乏感をどうにもできないとき、人は苦しみを感じます。

世界保健機関(WHO)は、人間には大きく4つの苦しみがあるとしています。肉体的(フィジカル)苦痛、精神的(メンタル)苦痛、社会的(ソーシャル)苦痛、そして人間の尊厳など霊的(スピリチュアル)苦痛です。たとえ物質的、健康的、社会的な「欠乏感」を、自分の行動によって、いっとき満たせたとしても、霊的な「欠乏感」はどうにもなりません。なにをしても「空しい」「切ない」「寂しい」と叫ぶこの霊的な「欠乏感」を、いったいだけが埋めることができるのでしょうか?

主イエスは言われます。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(ヨハネ6:35)

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