「礼拝の生活」(2018年7月8日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一) 

7月は「信仰生活を考える月間」です。

1日の礼拝では「神のさまざまな恵みの管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」(1ペトロ4:10)とのみ言葉から聞きました。

 わたしたちの命も時間も能力もすべての賜物は、神さまから頂いた大切な預かりもの。その神の賜物のよい管理者(スチュワード)でありたい。

スチュワードとは「管理者」という日本語のイメージより、主に愛されていること知った僕の心のことです。

さて今週のテーマは「礼拝」です。パウロはこう教えています。

「こう言うわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」(ローマ12:1)

「こういうわけで」とは、神が私たちのためにしてくださったことごと、「神の愛」のことです。

わたしたちの罪を赦し救うために、御子イエス・キリストは十字架に命を捧げられました。

この神の愛と憐みに聖霊によって気付かされた人の、愛に応えて自分を神に捧げていきる生き方そのもの・・言い換えれば、神の恵みのよい管理者(スチュワード)として生きる日々生活そのものを、「なすべき礼拝」とパウロはいうのです。

しかし実際には、神を無視したこの世の価値観に流され、「なにが神の御心で神に喜ばれることなのか」(ローマ12:2)見失いやすいのが私たちの生活の現実です。

ゆえに聖霊によって「心を新たにして自分をかえていただきなさい」(同箇所)とパウロはいいます。その聖霊によってかえていただく現場として、神は恵みのうちに、わたしたちを毎週の「主日礼拝」に招いてくださいます。

さて、旧約聖書の創世記で、神を信じ、行き先のわからない旅を始めたアブラムは、その旅の途中で所々に祭壇をつくり、主の名を呼び、主の声を聞こうとしました。

同じように、わたしたちも神を信じる人生の旅の所々で立ち止まり、共に主の名を呼び、主の声を聞き続けたいのです。

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