「へりくだる者」(2016年9月4日 牧師 藤井秀一)

中世の偉大な学者アンセルムスは、私たちが自分自身を深く知り、神に近付くときに感じるジレンマを、こう表現しました。

 

「なんと苦しいジレンマ

自分をみつめるならば、自分が耐えられない。

しかし見つめることがなければ、自分に直面できない。

自分について吟味すると、自分の姿が私を圧倒する。

しかし吟味しないでいると、永遠の罰が私を欺く。

自分自身を見ると、その恐怖に耐えられない。

自分自身を見ないなら、死は免れない。」

 

神の言葉によって、自分が問われるとき、私たちは謙虚にさせられます。

自分の道徳的弱さ、生活の中にあらわれる悪を、自分ではどうすることもできないと気づいて、心低く神に助けを祈り求める人々に、

主イエスは、神の祝福を宣言します。

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は 高められる」(ルカ14章11節)

関連記事

  1. 「救われた人の生き方」(2018年7月29日 週報巻頭言 牧…

  2. 「階段を下りることのできない不自由さ」(2018年3月4日週…

  3. 2024年7月21日主日礼拝ダイジェスト

  4. 「愛に痛む父」(2016年10月9日週報巻頭言 牧師 藤井秀…

  5. その言葉で十分である

  6. 生ける神に仕える