「わたしは主をみました」(2019年4月21日イースター 週報巻頭言  牧師 藤井秀一)

十字架につけられ死に、墓に葬られたはずの主イエスの体は、三日目の朝、墓から消えていました。4つの福音書はすべてそのことを報告しています。

さて、墓が空だったことを最初に発見したのは、女性たちであったと語る、福音書の記事の意味は、よくよく考えてみる必要があります。

なぜなら、これらの福音書が書かれたころの教会を導いていた男の弟子たちにしてみれば、この事実は自分たちの恥をさらすことであったはずだからです。

もし、「復活」が弟子たちによる作り話であり、その神話をもとに「教会」が始まったとすれば、その神話においてもっとも重要な「空の墓」の第一発見者は、ほかでもない教会のリーダーであるべき弟子たちでなければなりません。

そうでなければ、教会を導く弟子たちの権威を保つことができないからです。

 

しかし福音書は、主イエスが十字架に死なれ、葬られ、墓から復活したその重要な一つ一つの出来事の時に、男の弟子たちは逃げていて、全く関われなかったと告げています。

そしてむしろ女性たちこそが、十字架の傍らでイエス様を泣きながら見守り、安息日が明けた朝、墓に葬られたイエス様のもとに、真っ先にかけつけたのも女性たち、最初に復活の主イエスに出会うことができたのも、女性たちであると証言するのです。

この事実は、福音書の証言の信ぴょう性を確実なものとしています。

主イエスを愛し、愛しているからこそ、墓の前で泣き続けていたマグダラのマリア。

その女性であるマリアが、世界で最初に復活の主イエスと出会い、「わたしは主をみました」と告げていくその一言の証言の歴史的重さは、

計り知れないものがあるのです。

 

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