「ネット配信による礼拝」(2020年4月19日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

わたしが酒田の伝道所において、まだ家族だけの礼拝をしていた頃。毎週、寂しい思いを感じていたゆえに、地元の人との一人一人の出会いが、ありがたくてしょうがなかったことを思い起こしています。その小さな家の教会に、一人の人がやって来た時の感動と興奮は、言葉では表せないものがあります。酒田には、大きくて、魅力的なイベントを行っている教会がすでにあったのに、です。しかしそちらにではなく、家族しかいない家の教会に、なんで来てくれたのだろうと、いつもつくづく思いました。

そして、また一人、また一人と教会で出会う度に、本当に神様が出会わせてくださった一人一人は、大切な家族だと実感しました。大きな教会堂とか、素敵な音楽とか、素敵なゲストとか、そういうものではなくて、この一人一人の繋がりのなかに、イエスさまを感じて、集う集まりこそが、教会なのだと、体験してきたのです。

そんなある日、地元に住んでいるクリスチャンという人が、わたしにこんなメールをくれました。「わたしは、あの有名な●●教会の●●先生の礼拝をネットで観ているのですよ。だからあんまり教会に行かなくてもいいんです。先生もみて勉強したほうがいいですよ」と。  わたしは正直「あほか!」と思いました。

このような自分中心のクリスチャンが育ってしまう、ネットによる礼拝というものに、わたしは心底、嫌悪を感じました。ですから酒田ではわたしは一切、礼拝を配信などしなかったのです。

さて、今回、そのネットによる礼拝の配信をするしかない状況に置かれ、これがもつ素晴らしい可能性(会堂に来れなかった方も、共に礼拝できる)とともに、集わない形でも「礼拝」が「礼拝」として捧げられていくために、一人一人の礼拝者の心構えと、そのための環境整備(限定配信など)が大切だと感じています。試行錯誤しつつ、新しい時代の「礼拝」のありかたを、模索していきたいと願っているのです。

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