神の約束を待て

「神の約束を待て」(2020年5月3日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

もしあなたが乗っていた船が難破し、だれも知らない無人島に、数人だけが流れ着いたとしたら、どうするでしょうか?

ある人は「なぜ、こんなことになったのだ」「誰のせいだ」「どうすれば、家に戻れるのか」と誰かを責めることに、貴重な時間を使うかもしれません。また元の生活に戻りたいのだと、自分の家に連れ戻してくれる船が、無人島のそばを通らないかと、ただ何もせず海を見つめているだけの人もいるでしょう。

今、新型コロナウィルスによって、わたしたちの生活は、あれよあれよと無人島に流れ着いた人のようになってしまいました。「なぜ、こうなってしまったんだ」「誰が悪いのか」「いつになったら元の生活にもどれるのか」・・・わたしたちは、この新型コロナによってもたらされた、この居心地の悪い「無人島のような生活」に疲れ果てています。5月になればやってくると思っていた救いの船は、無人島を通り過ぎていきました。元の生活に連れ戻してくれる救いの船はいつやってくるのか見当もつかず、失望は深まるばかりです。

しかし同じ無人島に流された人の中には、早々と覚悟を決め、この場所で生きぬいていく術を探し始めた人もいるでしょう。この無人島にとどまり、耐え忍んだその先にやってくる、新しい世界の実現を信じているからです。

 

さて、聖書に登場する信仰者の中には、神の救いの約束を待ちながら、置かれた状況のなかで生き抜いた人々が何人も登場します。たとえ不本意であっても、神によって置かれた状況、その場所にとどまることを通してしか、神しか与えることのできない祝福、恵みがあるからです。

復活のイエスキリストと出会った弟子たちは、イエスさまから「エルサレムを離れず、・・・父から約束されたものを待ちなさい」と命じられました。「ステイ・ホーム」ならぬ「ステイ・エルサレム」です。弟子たちはそこにとどまるしかないゆえに、熱く祈るようになりました。祈りこそ、苦難の生活を生き抜く術です。その祈る弟子たちの上に、やがて約束の聖霊は降り、新しい時代が始まっていくことになるのです。

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