「主を待ち望む」(2015年11月29日週報巻頭言 藤井牧師)

151129-15 主イエスの降誕を待ち望むアドベント(待降節)を迎えます。
ところで現代は、何かを「待つ」という機会が少なくなりました。
インターネットで注文すれば、欲しい物は翌日には届く時代です。
「時は金なり」とばかり、人は、待たせないサービスを選んで、お金を払います。
「待つ」ということに、意味も価値も見いだせないからでしょう。
しかし「待つ」ことは、本当に価値のないことでしょうか?
作物の種を播いたあと、じっと待つのはあたりまえです。
「本当に芽が出るのか?」と焦っては、いちいち土の中を掘り返すなら、
育つものも育ちません。
この場合「待つ」ことそのものに価値があります。
人が待たされている時にこそ、
神が働いてくださっているのですから。
救い主が来られる日を待ち望む・・・
それは、自分にはなにもできない苦悩の日にも、
無益に時が過ぎゆくように思える時も、
神はちゃんと、救いの業をすすめておられることを信じ、
積極的に、希望にあふれて今日を生きる
ということなのでしょう。

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」(イザヤ9:1)

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