このところ書店に並ぶ新書のタイトルに「なぜ、○○○は○○なのか」とか、「○○が○○のわけ」など、それを読めば「答え」が手に入ると思わせるキャッチフレーズが好まれているようです。今は「問い」より「答え」を求める時代なのでしょう。
聖書の読み方も、自分への「問い」を求める読み方と、「答え」を求める読み方があります。たとえば「人生に成功する秘訣」とか「人間関係でうまくいく方法」という「答え」をさがして聖書を読むこともあるでしょう。どちらの読み方も必要ですが、ともすると安易に手に入れてしまった「答え」では、本当にその人の腑に落ち、人生を変えていくことにはならないこともあるようです。
主イエスは弟子たちに向かって「あなた方はわたしを何者だというか?」と問われ、また「わたしに従ってきなさい」とチャレンジなさいました。主イエスは問い、チャレンジなさいます。答える(応える)のは、わたしたちのほうです。
さて、3月のイースターには神の招きに応えて、二人の方がバプテスマを受けることになりました。あらためて一年間歌い続けた「主イエスにこたえて、主イエスがこたえて 教会でそだつ わたしたちのゆめが」と語る今年の賛美歌の歌詞を、今深くかみしめています。