「沈黙の祈り」(2016年8月14日 週報巻頭言  牧師 藤井秀一)

人と人との愛の関係が深まると、むしろ言葉は必要なくなっていくものです。

最初、出会ったばかりの恋人は、たくさんの言葉を交わし、互いを理解しようとするでしょう。しかし愛の関係の深まりの中で、ただ黙ってそばにいるだけで、心と心がつながる満足感と喜びを知るようになります。同じように、仲の良い夫婦や親しい友との間では、ほとんど言葉を交わさなくてもわかりあえるものです。

さて祈りは、人と神との交わり。そして祈りもまた愛のようなもの。

神との関係の深まりのなかで、祈りにおいて言葉は絶対的なものではなくなります。

パウロは最も深い祈りは言葉を超えるといっています。

「・・・わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、”霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」 ローマの信徒への手紙8章26節

わたしたちの言葉にすることのできない心の思いを、わたしたちの内におられる聖霊がうめきつつ神にとりなしてくださるなら、神を思い、その御前で沈黙のままでいるときさえも、神との愛の関係は深められていると信頼することができます。

祈りの言葉を口にすることだけが、「祈り」ではないのです。

魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。」 詩編62:6

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