「生かされて生きる」(2015年6月7日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

P1050732わたしたちは、だれひとり自分の意思で生まれてきたわけではありませんから、自分に命を与えてくださった方によって、「生かされて生きる」存在と言えます。しかし、果たしてそのように生きているかと言えば、自分の力に頼り、自分の思いで行動し、自分の願いどおりにならなければイライラし、「生かされているもの」らしくは生きていないのです。そうであるのに、なお生きているとすれば、命を与えてくださった方に赦されているからでしょう。

つまり「生かされて生きる」とは「赦されて生きる」ということなのです。

『イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」といわれた』

ルカによる福音書5章20節

関連記事

  1. 2025年9月28日主日礼拝ダイジェスト

  2. 「寄り添うということ」    ローマの信徒への手紙 2章9‐…

  3. 「翼の下にかばってくださる方」(2016年8月7日週報巻頭言…

  4. 「解放宣言」(2015年5月3日週報巻頭言 藤井牧師)

  5. 「 祈ること自体が救い 」(2017年9月9日週報巻頭言 牧…

  6. 「どんな思いで受け取ったのか」(2018年週報巻頭言 高橋周…