「神の本気の救い」(2016年6月19日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

教会は、いつも解放と喜びの「福音」を伝えているでしょうか。カルト問題に詳しいウイリアムウッド著「教会がカルト化するとき」という本の一節から紹介します。

「聖書は、救われるための唯一の条件は信仰であると、終始一貫して語っています。

『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです』(エフェソ2:8-)・・・・この恵みの福音は、自分の弱さや罪を自覚している者にとっては、飛び上るほどの喜ばしい知らせですが、自分はさほど悪い人間ではないと考えている人から見れば、ひどくプライドを傷つける話となります。「何もしないで救われるなんて、虫が良すぎる」と批判します。言うまでもなく、そのような人々は、行いを強調する宗教に共鳴するわけです。

カルト教団の指導者たちもほとんど例外なく、「行い=救い」を説きます。それは、彼らにとって、好都合な教えだからです。つまり、カルトにおいて、組織の利益や拡大のために、いかに信者を働かせられるかが永遠の課題ですが、そのために一番効果的で手っとり早い方法は、「働かないものは救われない」と教えることなのです。」

ですから聖書にある一見厳しい言葉にふれるたびに、私たちは「やっぱり行いがないので救われないのだ」と不安にならなくていいのです。「救い」は人が頑張ったくらいで実現などできないのです。ある意味、キリストが十字架につけられなければ救えないほど、人は実に罪深い。しかしそれゆえの「神の本気の救い」だからこそ「福音」なのです。

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