なぜ、マリアは主イエスの母となるようにと選ばれたのでしょう。
神の選びの理由を、人は理解できません。
ヨセフと共に、ささやかな家庭を築くことを思い描いていたはずの、おとめマリア。
天使の告げる受胎告知の言葉に、
「どうしてそのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と
言わずにおれなかった彼女の心のなかに、
「なぜ、結婚を目前にしている、わたしなの」という思いも、感じます。
「なぜ、他の人ではなく、わたしが」
そう思わされる出来事と、わたしたちも遭遇することがあります。
それは、嬉しい出来事の時もあれば、つらく厳しい出来事のときもあるでしょう。
天使の言葉に、マリアはしばし葛藤しつつ、最後に言います。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」
自分の思い、願いもあったマリア
「み言葉どおりこの身になりますように」と、彼女が静かに全てを受け入れていくとき、
「恵まれた方。主があなたと共におられる」と言われた、
神に選ばれし人の姿が、あらわになったのです。