「上からの問い」(2016年1月24日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

ニュースなどで、社会の様々な悪を見聞きすると、つい犯人捜しをして、いったいだれが悪いのかと問いたくなります。しかしそれは「上からの問い」、すなわち神からの問いではないでしょう。神は人と人を比べて、どれくらい悪いか、悪くないか、などと問われたりはなさらないからです。

わたしたちは他人をあれこれ見定めるのに、たくさんの時間とエネルギーを費やします。近くの人、遠くの人について、なにかを思い考えるたびに、心がかき乱されます。それは、心が変えられるべきなのは、常に自分自身であることを忘れているからです。実際、人は他人を変えることはできず、自分の心しか変えることはできません。

まざまな出来事、苦しみ、時代のしるしと遭遇するとき、上から問いかけられているのは、ほかの誰でもなく自分自身である、と気付いた人は、他の人に向けがちな自分の思いを、主イエスとその言葉へと向け直すことでしょう。つまり悔い改めです。

関連記事

  1. 2022年9月18日主日礼拝ダイジェスト

  2. 2024年10月6日主日礼拝ダイジェスト Sunday Wo…

  3. 「遠き国や」(2017年3月12日 週報巻頭言 牧師 藤井秀…

  4. 「なにを目指せばいいのでしょう」(2017年7月9日週報巻頭…

  5. 「あかし人」(2017年5月28日週報巻頭言 牧師 藤井秀一…

  6. 「御言葉が実るために」(2016年7月24日 週報巻頭言 牧…