「上からの問い」(2016年1月24日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

ニュースなどで、社会の様々な悪を見聞きすると、つい犯人捜しをして、いったいだれが悪いのかと問いたくなります。しかしそれは「上からの問い」、すなわち神からの問いではないでしょう。神は人と人を比べて、どれくらい悪いか、悪くないか、などと問われたりはなさらないからです。

わたしたちは他人をあれこれ見定めるのに、たくさんの時間とエネルギーを費やします。近くの人、遠くの人について、なにかを思い考えるたびに、心がかき乱されます。それは、心が変えられるべきなのは、常に自分自身であることを忘れているからです。実際、人は他人を変えることはできず、自分の心しか変えることはできません。

まざまな出来事、苦しみ、時代のしるしと遭遇するとき、上から問いかけられているのは、ほかの誰でもなく自分自身である、と気付いた人は、他の人に向けがちな自分の思いを、主イエスとその言葉へと向け直すことでしょう。つまり悔い改めです。

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