「主よ、憐れみたまえ」 マルコ 第10章46-52節 (説教:藤澤一清兄)

2013・1・20 1月第3主日礼拝

昨年の10月の祈祷会で、バプテスマ記念の方々を憶えて祈るのですが、その中に私の名前がありました。いつもは気にもしていないのですが、改めて数えると60年目で、感慨深いものがありました。また12月の祈祷会で、喜寿を祝福してくださいました。考えてみると、77年の年月は、私にとっても、また教会においても起伏に富んだ歩みでした。戦争前、戦争中、そして戦争後の激しい時代の移り変わりに、私も教会も巻き込まれました。そして現在、それは表面上は平穏無事であるかのようですが、内実は、戦前・戦中・戦後の歴史や責任は何も決着をつけないまま混沌とし、問題を孕みつづけています。

そのような流れで言えることがあるとすれば、私は、そして教会は、ある時は細く、ある時は太く生き続けてきたということです。それは私に、そして教会に、ゆるぎない信念やしぶとさがあったからでしょうか。そうではありません。ただイエス・キリストが共におられ、共に歩いてくださっていたからです。けさは、そのイエス・キリストがどのような姿で教会におられ、また一人ひとりにかかわってくださっていたのか、それを福音書が伝える出来事から聴いてみたいと思います。私自身の証しも絡ませながら、聖書を語ることをおゆるしください。

 

 私は牧師の家庭に生まれ育ち、今に至りました。自分はどこに生まれたのか、いったい何者なのか、そしてどこに行くのか。だれでも人生の節々には、そのように考えるものです。私自身は、教会を抜きにしてそれを考えることはできません。

 主イエスが福音を宣べ伝え、それに基づいて弟子たちが聖書を編集し、教会を形作っていきました。そのとき教会は、三つのことを信仰告白しました。私たちの教会も、同じように告白しています。その第一は神を信じる、第二はイエス・キリストを信じる、第三は聖霊を信じる、ということです。その第三の聖霊の項目の一つに、公同の教会を信じるというのがあります。私の場合、自分が何者なのかを考えるとき、教会とは何かを問わざるを得ませんでした。私には、公同の教会とは具体的に体験した教会の現場からしか考えはじめることはできません。自分を語ることは教会を語ることなのです。教会の存在と働きの根拠は聖霊であるというのが教会の信仰告白なのですが、その聖霊は私と教会をつなぐ絆でもありました。それを今にしてしみじみ感じています。

 

ところで教会とは何でしょうか。事典や解説書をみれば、それなりの説明があります。しかしそれは、生きて刻々と変わっていく教会を映し出すことはできません。パウロの言葉を借りるなら、教会はキリストの体です。キリストを息吹きながら、歴史の中で苦悩と罪にまみれながら、右往左往して生きる体です。私は、そのような具体的な自分と教会からしか、聖書を読むことはできません。

一昨年10月、宮城県の南三陸町を訪れ、津波によるショックな情景を目にし、それは十歳のとき被爆した長崎の姿と重なりました。それ以来、私の頭に浮かぶのは、さきほどみなさまと耳にした福音書の物語です。これまでいくつかの教会でお話をする機会がありましたが、この物語を繰り返すほどに、私の時計は止まったままです。実はこの週末にも、その南三陸町を再訪します。

 

この物語は、主イエスと目の見えないバルティマイとの出会いの事件です。この出来事の筋は簡単明瞭です。主イエスと弟子たち、それに多くの群衆がエリコの町を出てエルサレムに向かおうとしたとき、目の見えない物乞いが主イエスに近づき、「ダビデの子よ、あわれんでください」と叫んだ。これに対し主イエスは、「行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」と声をかけられた。盲人は見えるようになり、主に従った。そういう流れです。

 ところでこの出来事は、主イエスがおられるところではいつも起こっていた一駒であったでしょう。しかしそれは、マルコ福音書というイエス・キリストの物語の流れからすれば、単なる事件とは言えないようです。というのは、10章までは、主イエスが、弟子たちや人々と共に歩き、共に生活し、神の国についての教えを宣べ伝えてこられたことを記述しているのに対し、11章からは主イエスの受難、つまり十字架への歩みを展開していきます。そこでは、人の苦しみを味わい、人の罪を代わって背負う姿を描いています。その姿を、弟子たちや人々は、この方こそ神の子、救い主であると告白し、その告白のもとに教会を形造っていきます。つまり大雑把な言い方ですが、人と共に歩まれたイエス・キリストと、十字架において贖いのわざを成し遂げられたイエス・キリストを記述し、バルティマイの物語は、その二つをつなぐ出来事として位置づけています。その二つのイエス・キリストを結ぶものが、バルティマイの叫びと主イエスの言葉です。この二つのキーワードについて、少し考えたいと思います。

 

一つはバルティマイの「ダビデの子よ、私を憐れんでください」という叫びです。聖書の中には、もともとの言葉を聖書の言語に翻訳したり、また変更したりせずに、そのままの発音で残した祈りや叫びがいくつかあります。例えば「アーメン」、「マラナ・タ」、「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」などです。その方がもともとの意味が伝わると考えたのでしょうか。教会でも同じように、このバルティマイの叫びを、「キリエ、エレイソン」あるいは「クリステ・エレイソン」というもともとの言葉で残し、長らく基本的な祈りの言葉、あるいは賛美の言葉としてきました。

ところでこれを「憐れみたまえ」と日本語で唱えるのは、少しばかり抵抗を感じるものです。憐みというのは上から下に向けての語感があるからです。金持ちが物乞いにお金や物を投げ与えるような、正しい者が悪い者に対して距離を置くような、また強い者が弱い者に向けて同情するような、そんなイメージがあるからです。そう思うのは私自身が国語力に乏しいせいでしょうか。しかしこの物語の場合、主イエスとバルティマイの出会いには、そんなことは感じられません。バルティマイが主イエスにぶつけた叫び、それは自分には何もない、生きるに必要なものや手だては何一つない、ただ恵んで欲しい、という叫びでした。

 

ここでこのバルティマイの叫びをもう少し考えるために、この事件のすぐ前に起こっていたことに目を向けましょう。主イエスと弟子たちとの対話です。ヤコブとヨハネは、仕事や家族を置いて主イエスに従いました。神の国の実現のために来られた主イエスに感動し、仕事や家族を捨ててその運動に馳せ参じました。他の弟子たちも大なり小なり同じでした。しかし主イエスは、弟子たちの思いの裏にあるものを見抜いておられました。その思いが顕わにされた事件が、35節から45節までに記述されています。主イエスは、栄光についてのヤコブとヨハネの思い違いを指摘なさいました。たしかに弟子たちも仕事や家族を捨てたわけですから、無一文でした。しかし同じ無一文でも、弟子たちとバルティマイとは違っていました。弟子たちはだいじなものを持っていた。しかしそれを捨ててまで、もっと価値ある崇高なもの、つまり栄光を求めたということです。ですから捨てたことに意味があるわけです。バルティマイはそうではない。初めから捨てるものがない。だから恵んでください、憐れんでください、という叫びや祈りしかありません。

今回の大震災の中で罹災された多くの人々は、家族や持ち物を剥ぎ取られました。捨てるものは何もないところに追いやられました。ガンバレと叱咤激励することほど残酷というほかありません。

 

物語に戻ります。そのバルティマイの叫び、それは祈りですが、それを主イエスは「あなたの信仰」と言われます。叫び祈っているバルティマイに、「あなたの信仰があなたを救った」と宣言なさったのです。これがけさの二つ目のキーワードです。

しかしこの物語をこの言葉で終えてはなりません。完結させてはなりません。そうすれば主イエスの言葉が一人歩きし始めるからです。「あなたの信仰があなたを救う」という主イエスの福音が福音とならずに、単なる説教や教えとして語られたり聴かれたりするからです。「あなたが救われるのはあなた次第ですよ」と、あたかも信仰を救いの条件のように語られたり聞かれたりするからです。ちょうど弟子たちが自分の仕事や家族を捨てて崇高な運動に飛び込んだ、それを条件に、あるいは引き替えにさらに大きな栄光を求めたように、です。

 

ではこの主イエスの言葉は、どのように理解すればよいのでしょうか。そのために、もう一度、すぐ前の主イエスの言葉に注目したいと思います。33節のところで主イエスは、弟子たちの言葉を遮るようにして、「あなたがたは何も分かっていない」と言い、「あなたがたは私が飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができるか」と問われます。言うまでもなく杯とバプテスマは十字架を意味しています。バプテスマとは、主イエスにとっては罪や穢れを洗い清める儀式というのでなく、自らを水の中に沈め、苦難を体験するという象徴的な行為でした。それまでの主イエスは、人々の病をいやす医者であり、権威ある教師であり、罪を清める宗教家であった。10章まではそのような主イエスを描いています。ところがこれからは、自ら病人となって痛み苦しみ、罪ある者が受けるべき刑罰を受けようとなさる。十字架の道!

主イエスは、十字架への道を歩みながら、バルティマイに対しては医者としてではなく、また教師や宗教家としてでもなく、自らバルティマイとともに痛み苦しむ者になろうとされた。主イエスがバルティマイに「あなたの信仰」と言われたとき、その「あなた」は「私も共にいるあなた」というメッセージであった。つまり、私たちがいつも耳にする言い方、「救いはあなたの信仰次第ですよ、さあどうしますか」と律法的・教訓的に突き放す姿勢でなく、痛み苦しむ者の痛みや苦しみを引き受け、担い、共に生きようとなさる姿です。その象徴的な出来事が十字架上のイエス・キリストです。その姿の中にバルティマイがいます。そして目が見え、主イエスに従うようになったという新しい世界にバルティマイがいます。まさに復活の世界です。

 

教会は、このバルティマイの叫びを「キリエ・エレイソン」という祈りの言葉で残してきました。この祈りを通して、共にいてくださる主イエスを体験してきました。この祈りで始まり、この祈りの上に教会があり、また私たちはその教会に連なっています。

こう考えてきますと、「キリエ・エレイソン」という祈りが主イエスの十字架上での叫び「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」、つまり「我が神よ、我が神よ、何故我を見捨て給いしや」と重なってまいります。そのようにして私たちの側に立ち、私たちの痛みや苦しみを味わいながら寄り添ってくださる方、そのようにして永遠の命にいたる道を開き、共に歩んでくださる方。その方が見えるとき、私たちは、バルティマイのように目が開かれているのです。礼拝は、繰り返し、その出来事が起こる時であり、場なのです。まさに復活の時と場なのです。

 

私は、戦争中の小学校で、戦争と愛国心を教育され、「天皇陛下万歳」と叫んで死ぬことを叩き込まれました。その天皇は最も戦場から遠いところで自らを守り続け、また戦後も何も変わらず生き続けました。これに対しイエス・キリストは、生死を共にしながら、「キリエ・エレイソン」「主よ、憐れんでください」という言葉を受け、寄り添ってくださる。その叫びと祈りは、私にとって最大の恵み、最大の宝であるのです。

祈れと言われても、祈る言葉もない。祈る力もない。しかしイエス・キリストは、祈りを失った者に、寄り添うようして生死を共にしてくだいます。その主イエスはペトロに、十字架の時を前にして、「わたしは、あなたのために、信仰がなくならないように祈った」と言ってくださいました(ルカ22:32)。

 

祈りましょう。「キリエ・キリエ・エレイソン」、「主よ、憐みたまえ」アーメン

 

 

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