「幻がなければ」(2017年6月18日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

たとえば、花小金井キリスト教会が今の教会堂を建てるにあたって、まず教会に集う人々で、まだ見ぬ新しい会堂の姿を心にイメージしたはずです。

あのスティーブジョブズが、手のひらのなかで写真やビデオを世界中の人とやり取りするイメージを心に抱いたので、今、スマートフォンはこの世に存在することになりました。

 今、目の前にあるものの多くは、それがまだ存在しないとき、誰かの心の中に夢や幻がリアルに描かれ、やがて現実に「実った」ものです。人の心に描かれる幻は重要です。

さて先週、委員会採決を省略する「中間報告」によって強行に可決された「テロ等準備罪(共謀罪)」法によってイメージされる未来。それは、「あの人たちは犯罪の計画をしている」と市民が互いに疑い監視しあう殺伐とした未来です。

旧約聖書の箴言に「 幻がなければ民は堕落する」(29章18節)とあります。政治家や政治家を選ぶ私たち市民が、目指すべき未来の夢や幻を見失った結果、このような負の「実り」が次から次へと生みだされているように思えてなりません。

使徒言行録は、弟子たちの上に聖霊が降ると、彼らは様々な国の言葉で福音を語りだし、福音を信じたあらゆる人々が、財産を持ち寄り共に生きる共同体を作った出来事を報告します。

これは、神が最初の教会を通して見せてくださった「神の国とはこういうものだ」という神の夢、幻でしょう。

私たちの教会も、ある意味神の夢、幻が、この時代に「実り」生まれた集まりです。

今、未来への夢や幻を見失ってしまった時代。私たちのこの集まりが、神の国の夢、幻、そして未来への希望をこの世界に証する集まりでありますように。

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