「自分が変わる勇気」(2018年2月18日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

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昔、酒田で住まいにしていた借家を教会として礼拝を始めたころ、
 
「やはり教会の礼拝なのだから、ちゃんと講壇が必要だ」と思い、
 
カラーボックスで即席の講壇をつくって、
 
会衆席として「畳の部屋」に椅子を配置し、
 
最初の礼拝を始めました。
 
まだ私たち家族と求道者お二人の夫婦しかいなかったのに・・・・
 
 
 その結果どうなったかというと、
 
来てくださっていた求道者の方が、
 
なかなか来なくなってしまったのです。
 
たまに礼拝に来られても、
 
なんだか居心地が悪そうにしています。
 
 
 東北の人は、はっきりものを言ってくれません。
 
何が気に入らないのか、当初はわかりませんでした。
 
実はその方々はテーブルを囲む家庭集会の雰囲気に慣れていたのでした。
 
やがて礼拝をテーブルを囲む家庭集会の形にしてみると、
 
ご夫妻は心を開き始めて、礼拝にも出席する機会が増えました。
 
 
 さてパウロは「ユダヤ人にはユダヤ人のように・・・弱い人には弱い人のようになった」といいました。
 
相手に自分を合わせて福音を伝えたパウロ。
 
なのにわたしは「キリスト教の礼拝とはこういうものだ」と、
 
講壇とか会衆席や礼拝のプログラムなど、
 
ある特定の時代に出来上がった教会文化を、
 
日本の田舎にまで持ち込んでいたのでした。
 
 
 
リチャードニーバーは、こう祈りました。
 
「神よ、変えることのできるものについて、
 
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
 
 
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
 
 
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
 
識別する知恵を与えたまえ」と

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