「貧しいものたちの捧げもの」(2月26日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

(ヘンリ・ナウエン「今日のパン明日の糧」より)

「貧しさにはいろいろな形があります。経済的な貧しさ、物質的な貧しさ、感情的な貧しさ、精神的な貧しさ、霊的な貧しさ。私たちが、他の人の豊かさや健康、確実さ、知性、強さを重要視している限り、本当のコミュニティーを築くことはできません。コミュニティーは、自分の持つ才能で世間の目を眩ませるタレントショーの場ではありません。コミュニティーとは、私たちの貧しさが認められ、受け入れられる場です。それは、私たちができるだけうまく貧しさに対処することを学ばねばならない場ではなく、貧しさが新しいいのちの真の源であることを知るようになる場です。

家族や教会、様々なプログラムのグループ、同じ目的のもとに集まったコミュニティーなど、そのかたちがどうであれ、コミュニティー生活を送るということは、貧しさを共に分かち合うことです。そうすることで、私たちの豊かさも示されていくに違いないと信じることができるようになるでしょう」

 

今日の礼拝で開かれるみ言葉は、貧しいやもめの捧げ物の話です。様々な意味の「貧しさ」を抱えた私たちが、神への捧げ物を持ち寄り、分かち合い、共に神を見上げる「豊かな」コミュニティー。それが教会なのです。

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