今やキリスト教は世界的な宗教です。今日も、数え切れない
ほどの世界中の人々が、イエスの名を口にし、誕生を祝っています。
しかし、その主イエスの誕生は、神の偉大な力を誇示し、人々を圧倒するようなしかたで示されたのではなく、ナザレの田舎の小さな少女のなかに、ひっそりと主イエスは宿りました。神は身を低くされ、隠れ、弱さの中に宿る神となられたのです。
見た目や、目の前の業績や成果を重視する今の時代に、主イエスが目立つことなく生まれ育ったことの意味を、深く受け止めたいと思います。そこに隠されている、神の愛と憐れみを深く味わい知り、希望を新たに歩みだすクリスマスとなりますように。
今年は、ロビーに献金箱を置きました。この献金は、東日本大震災で被災し、今も小さく弱くされたままの人々を訪ね、共にあろうとしている東北の教会の働きと、原発事故後の不安の中に今も置かれている「郡山コスモス通り教会」への支援金といたします。
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、 光が輝いた。・・・・
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の 子がわたしたちに与えられた。 権威が彼の肩にある。その名は、
「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる」
(旧約聖書 イザヤ書9章1節~5節)