僕にとっての憲法九条は「希望」です。日本が戦争をしないという証であり、また世界平和への一歩となる希望だと僕は思っています。しかし今、その希望である憲法九条が改悪されるかもしれません。皆さんもご存じのとおり集団的自衛権の行使容認です。
集団的自衛権を行使するということは、アメリカの戦争に巻き込まれて、日本が戦争に参加するようになると言うことです。これは憲法九条の交戦権の否認というところに反しています。しかし今の政府は目先の安全を求めて、集団的自衛権の行使容認を実行しようとしています。
このあいだ僕の大学で講演会がありました。デンマーク牧場福祉会こひつじ診療所の院長の武井陽一先生という御方からこんな話をいただきました。「安全と平和は似ているが反対の概念だと思う。安全を求めるとき人は心を閉ざし自分の安全を求める。自分が被害を受けなければ周りにどれだけ被害が及んでいようと関係ない。平和を求めるとき人は心を開き、人と人との良き関係がそこに出来上がる。平和の上に安全は実現するが、安全の上には平和は実現しない。」という話です。
ローマ信徒への手紙8:24.25
「私たちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する
希望は希望ではありません。現に見ているものを誰がなお望むでしょうか。
私たちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」
今日本は目先に見えている形だけの平和を求めています。自らの国の安全を求めて
本当の平和を捨て去ろうとしています。けれども恒久平和を本当に望むのならば、
目先にある安全を求めるのではなく、恒久平和への道のりは見えないけれども、
そこに希望を見出して、祈って待ち望むことが必要です。
僕にとっての憲法九条は「希望」です。その希望は日本だけに留まらず、隣の国へ、世界中へ広がっていく平和への第一歩だと思っています。