I.S.姉の証

実家から東京に来て4年が経とうとしています。初めて花小金井教会に訪れたのは、今通っている音楽大学を受験するとき。そしてこの春に、その大学を卒業し実家に帰ることになりました。田舎に帰る前に、このように大好きな花小金井教会のみなさんの前で証をさせていただけることを心から感謝しています。

東京での4年間は私を大きくさせてくれました。そして、様々な人、物、価値観と出会う中で、今まで自分自身がどのように人生を歩んできたのか、そしてこれからクリスチャンとしてどのように人生を歩んでいきたいのかということが少しずつはっきりとしてきました。今日はそのことについて証したいと思います。

 

私が音楽大学を受験したのは、教会で奏楽の奉仕をしていたことがきっかけです。奏楽のときにつかえるピアノのアレンジや賛美歌の編曲を学びたいという思いがありました。また、音楽の先生になるための教員免許を取得することも、大学進学の目的でした。今回福岡に帰るのは、その音楽の先生になるために、教員採用試験に向けて実家で勉強することに決めたからです。

去年の6月に私は公立中学校に教育実習に行きましたが、そのとき出会った一人の女の子のことが今でも強く印象に残っています。実習中10クラス360人の生徒に音楽を教えたのですが、私は子どもたちが楽しみながら音楽の美しさに触れることができるように一生懸命工夫をして授業を組み立てました。その甲斐あってか、生徒の反応はとても良く、授業は大盛り上がりで、どの生徒も私の授業を毎回全力で楽しんでくれていました。嬉しいことに、朝、登校してくる生徒の中から私が授業で教えた歌を歌っている声が自然と聞こえてくるほどでした。

ところが、その360人の中でその女の子だけは違いました。彼女は私の授業に無関心で無反応、笑わないし、歌う前の体操も動かないし、歌も全く歌ってくれなかったのです。それは、「静かな反抗」というような態度でした。しかもその女の子は、私が担任に入っていたA組の生徒で、事前に職員室の他の先生方から伺っていたA組の印象は「良いクラス、お利口、授業がやりやすい」というものだったので、尚更びっくりしました。たしかにA組は、成績が良く、頭の良い子だけでパスを回して授業をしていくことができるのですが、明らかにその女の子は授業に参加できていません。しかしそれを先生も他の生徒も無視して授業を続けているとしたら…そしてそれを、授業のやりやすいお利口な「良いクラス」と呼んでいるとしたら…私は寧ろこのクラスが一番「問題のあるクラス」のような気がしました。そして、その後すぐに私は心の中でこっそりとその女の子に心をとめることにし、たった3週間の実習中に何が変わるわけでもないけれど、この女の子が一瞬でも笑顔になることを私なりの目標にしました。

放課後、担任の先生からその子についてお話がありました。彼女の父親はその筋の人で且つご高齢、母親はいません。家庭内で学習道具や学習環境を整えることが難しく、体操服のぜっけんや制服のボタンのほつれなどは、保健室の先生に縫ってもらうようにしているそうです。学力は他の子と比べて低く、人とのコミュニケーションもあまりスムーズにとれないようでした。私の見た限り、信頼している大人は担任の先生と、保健室の先生だけで、私や他の大人には恐怖心と疑いの混じったような何とも言えない複雑な表情で目を向けて、反応を返さず、逃げるように無視していました。

私は担任の先生から、生徒が毎日提出する連絡帳にお返事をする仕事を与えられたのですが、連絡帳の一言日記の欄にその子が何かを書いてくることはありませんでした。私は気にすることなく、毎日、「今日は雨が降ったから寒いね」とか「体育祭の練習どうでしたか?先生は疲れました」など、何も書かれていない連絡帳にコメントを書き続けました。

実習中、来る日も来る日もそんな一方通行のやりとりが続いていたのですが、ある日、他の実習生がアルファベットの可愛らしいシールをもっていたので、思いつきで、その子の名前をローマ字で連絡帳のコメントの欄に貼り、「かわいいでしょ」とだけ書いた日がありました。するとその日の放課後、連絡帳を返却したとき、その子が連絡帳を開いてぱあっと顔が明るくなり、嬉しそうに隣の席の子にそれを見せているのが私の視界の隅に映りました。私はそれを見て少し嬉しくなったのですが、さらに嬉しいことに、次の日その女の子は初めて、その連絡帳に一言日記を書いてきてくれたのです。

私のやったことは本当は良かったのか悪かったのかは分からないのですが、ほんの1ミリだけその子と近くなれたような気がして、嬉しくなり、感謝しました。

3週間の実習中、毎日が目まぐるしいほどに楽しく感じました。そしてその3週間の間に、360人のかわいい生徒だけではなく、職員室の先生方や他の実習生とも、とても良い関係を結ばさせていただきました。そのことで私は、人と出会って関係を結ぶことや、お互いの心に触れることが好きだなと感じ、「先生」というのはそんな私に神様が与えてくれた素晴らしい職業なのかもしれないと感じました。

実習の最後の日、クラスの生徒から手紙をもらいました。他の実習生も、お花や色紙の寄せ書きなどを頂いていたようでしたが、私は一人A4の紙1枚たっぷりに、それぞれの思いを絵や文章でつづったものを頂きました。どの手紙も、思いのこもったもので嬉しかったのですが、その女の子の手紙を見つけて、私はとても驚きました。そこには、色鉛筆でかわいいイラストが描いてあり、このように短い文章が書かれていました。

「I先生 音楽の時間にたくさんのことを教えてくれてありがとうございます。I先生と過ごした3週間めちゃくちゃ短く感じました。とても楽しかったです。また他の中学校に行って先生になるけど…楽しいクラスにしてください。3週間短かったけど、とても楽しかったです」

その手紙は他の子にくらべて、短く、拙い文章でした。しかし授業中の提出物など一切提出しないし、提出しても何も書いていない彼女が、私が話しかけても戸惑いながら無視して反応を返してこなかった彼女が、こうして短い手紙を書いてくれたことに何とも言えない喜びを感じました。よく見ると、その子の紙だけ、学校で配られるA4の再生紙ではなく、真っ白なコピー用紙でした。もしかしたら、配られた紙をなくして、家にあったコピー用紙に書いたのかな、なんて本当のことは分からないのですが想像したりして、その思いに嬉しくなりました。

この女の子は、まるで小さくなって私の前に現れたイエス様のようでした。彼女との出会いから、私はできることなら公立の学校で働きたいという思いを与えられました。ある程度の経済力や学力がある子どもだけでなく、生活保護で暮らしているような家庭の子ども、障害をもっている子どもも一緒くたになっている公立の学校で働きたいと思うようになったのです。実習先で出会ったこどもたちの中には、彼女だけではなく勉強のこと、部活のこと、友達のこと、おうちのこと、恋愛のこと勉強のこと、部活のこと、友達のこと、おうちのこと、恋愛のこと私が想像しているよりも様々な問題を抱えている生徒が沢山いたのだと思いますが、不安定で不完全な中に生きている子どもたちひとりひとりの命がとても尊く感じ、そんな子どもたちにとって少しでも楽しく癒しの時間になるような音楽の授業ができる教師になりたいと思うことができました。そう考えると、教育は、今すぐに社会を大きく動かすものではありませんが、生徒たちひとりひとりの心に触れ、出会っていくことで、私もイエス様のぶどうの枝となって働くことができる仕事なのかもしれないと感じました。

 

また、この大学の4年間、様々なチャレンジの中で「できない、自信がないからやりたくない」と思っていたことから、「できない、自信がないだめな自分を、精一杯捧げる」ということができるようになりました。すると、その欠けだらけの私はいつもきれいに補われ、いつも恵を自分の器以上にいただきました。そしてそのたびに、自分の小ささとそれを喜んで用いてくださる神様と周りの人への感謝を感じることができました。そのことに気付いてからは、うんと人生が楽しく、生きるのが楽になりました。神様からはいつも私の実力以上の試練を用意されていましたが、自信がないだめな自分のままその試練に飛び込むことで、そのたびに大きく、しなやかに、私自身がかえられていきました。私は、人と出会うことによって、その人の内面、価値観に深く触れ、またそのことによって自分も相手も少しずつ変わっていくことが心地よくて好きです。心に風が吹き、自分がいつでも新しく創りかえられていく、そんな喜びを感じます。

4月から私は実家に帰りますが、この4年間出会った出来事は、楽しいことも辛いことも全て恵みに変えられました。花小金井の教会生活でいただいた沢山の恵みを胸に抱きしめながら、田舎のM教会でまた日々の教会生活を守りたいと思っています。そして、今与えられている夢を叶えて、神様に尋ねて、御言葉に聴き、導かれ歩んで生きたいと思います。

 

 

 

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