2023年3月26日主日礼拝ダイジェスト

「今も生きるピラト」(週報巻頭言)

レント(受難節)を覚え、3月の礼拝では、わたしたちの罪のために十字架につけられ、死んでいかれる主イエスのお姿を、マタイの福音書の言葉を通して見つめ続けています。

今日読まれる27章15節以下の箇所は、イエスに死刑判決を下したユダヤ議会が、統治者であるローマに死刑を実行させるために、地方総督ピラトにイエスを訴えた後の話になります。

ピラトは、ユダヤの祭司長、長老たちがイエスの死刑を望んでいるのは、彼らの妬みからのためだとわかっていました。言い換えるなら、ピラトはイエスが無実であるとわかっていたのです。しかしピラトは自分の良心にふたをして、群衆に判断を丸投げしてしまうのです。

「ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」(27:15-18)

 

イエスには罪がないとわかっていても、自分の良心の声に従うよりも、群衆の声に従うことで、総督としての自分の立場を守ろうとするピラト。おそらく政治家として常にそのような生き方をしてきたからこそ、彼は地方総督という立場にまで出世することもできたのでしょう。

さて昨年の10月~12月までフジテレビで放映された長澤まさみ主演の「エルピス」というドラマは、実在する事件に着想を得た「冤罪」をテーマにしたドラマでした。

犯人とされた男性の死刑判決が確定した事件の、冤罪疑惑を追うことになった主人公の女性アナウンサーとスタッフ。その疑惑を追う中で、「あの人が犯人ではない」とわかっていながら、自分の今の立場を守るために、黙っていた人々や、金のために偽証をした人、真実をもみ消そうとする権力者たちが登場するのみならず、真実を追ってきたはずの主人公自身も、テレビ局のなかで出世し立場を得ていく中で、真理追求より、自分の今の立場と組織を守ろうとする言動をしはじめてしまう。そのような現代の人間のドラマの中にもピラトは生きており、今も主イエスは、その人間のどうしようもない罪を赦すその苦しみを背負われているのではないかと、改めて思わせられているのです。

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