「慰めの捧げもの」(週報巻頭言) 藤井 秀一
レント(受難節)の時期に、毎週の礼拝でマルコの福音書を通じて主イエスの十字架への道を辿っています。
今回取り上げるマルコ14章1節~9節は、イエス様が十字架につけられる二日前の出来事を記しています。イエス様は、ベタニアにあるシモンの家で大切なひとときを過ごされました。食事中、ある女性が高価なナルドの香油が入った石膏の壺を持ってきて、それを壊し、イエス様の頭に注ぎました。周囲の人々にとって、この行為は高価な香油を売り、貧しい人々に施す方が価値あると考えられ、「無駄遣い」と見なされたのでした。
イエス様の時代において、ナルドの香油は非常に高価なものでした。この香油は、ヒマラヤ地方原産のナルドスタキス・ジャタマンシから抽出される芳香性のエッセンシャルオイルで、ヒマラヤの遠い地域から取り寄せられ、その希少性と香りの強さから、大変価値のあるものと見なされていたものです。そのような非常に貴重なものを、彼女は惜しげもなくイエスさまに注ぎかけしまったのです。
さて、人々が「無駄遣い」と憤慨したこの行為を、イエス様はまったく違うまなざしで見つめていわれます。「この行為は、わたしの埋葬の準備なのだ」と。当時のユダヤでは、死後の体を清め、香油や香料を塗ることで故人への敬意を表しました。
この女性の行為は、彼女が知ってか知らずか、二日後にイエス様が迎える十字架の死と埋葬の準備としてイエス様に受け止められることとなります。この後、弟子たちにさえ見捨てられ、あらゆる人がイエスさまに敵対するような厳しい状況のなか、一人孤独に十字架の上で死んでいくことになるイエス様にとって、この女性の心からの愛の捧げものが、どれほどの慰めを与えたことでしょうか。イエス様は言われます。「世界中どこでも、福音がのべ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」と。