転会のための信仰告白
花小金井教会に出会い、今ここにこうして立たせて頂いていることに感謝いたします。
思い返せば、クリスチャン生活ももう40年、、、あっという間の時でした。
息子たちの幼稚園選びがきっかけでした。当時世田谷の奥沢に住んでました。幼稚園もあちこちにありましたが、足で歩いて探した中で、一つだけ心に気にかかる幼稚園がありました。
園舎はぼろぼろ、トイレはクレゾールの臭いでいっぱいでした。しかし先生との立ち話の中にも子供たちを愛しているんだな~という思いが強く伝わってきました。一つ一つの言葉に愛があったのを今でも忘れません。
こうしてこの幼稚園を選び通うことになりました。このことがその後の道の大きな分岐点になりました。玉川聖学院の付属のとても小さな小さな幼稚園でした。
幼稚園では、昼までのお迎えの間、お母さん達の為の聖書のお話会が開かれていました。
参加者は3~4名でした。静かな温かな時間、初めて聞く聖書のお話はとても新鮮でした。ちんぷんかんぷんな時もありましたが、何とも惹かれるものがありました。
その時いろいろなみ言葉に出会いました。ある日、難しい数学の難問がス~と解けてゆくような体験をしたのです。
ちんぷんかんぷんとちんぷんかんぷんの間を風が抜けるような不思議な体験でした。分からなかったことが一つになるような経験でした。それからこの時間が楽しくなりました。
そして大好きなみ言葉に出合いました。
『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです』(Ⅰテサロニケ5:16~)
このみ言葉との出会いは衝撃的でした。神様が語りたいのはこのことではないのかと直感したのです。私の中で今でも色あせない宝物のようなみ言葉です。
このみ言葉との出会いから聖書への道、教会への道が開かれバプテスマへと導かれました。
主人の転勤はその頃でした。小学1、2年生の息子たちを伴ってオランダ・ドイツでの海外での生活が10年近く続きました。
多くのクリスチャンの方々と出会いました。オランダでは小さな家での家庭集会が日曜礼拝でした。
オランダ語は何も分かりませんでしたが、英語で書かれた今日の聖書個所のメモを頼りにひたすら聖書に目を落としていただけでした。
でもオランダを離れすでに30年を超える月日がたちましたが、そのご家庭とは、今でもまだ文通が続くほどの友人になりました、息子たちは礼拝のあとに頂けるお菓子だけを楽しみに通っていたのだと思います。
この話だけでも一日では語れないほどの思い出が詰まっています。感謝です。
5年近くのオランダ生活を終え、引き続きドイツへの転勤となりました。
ドイツではデュセルドルフに日本人教会がありましたので、日曜ごとの礼拝は日本の教会と同じようでした。
牧師はドイツ人という時期もありましたが、丁寧な日本語でのメッセージは心を打たれました。4年と少しの滞在でしたが、ここでも多くの友人に恵まれ励まされました。
その後、ひと足主人より早く日本への帰国となり、市川八幡キリスト教会に通うようになりました。皆さまとは、今では家族のようなお付き合いとなりました。
礼拝も行事も遊びも沢山ご一緒させて頂きました。市川八幡教会では牧師の辞任など辛い経験もありましたが、無牧師の時は祈祷会を中心に皆で支えあったのを忘れません。
祈りの大切さ、み言葉に従う大切さ、神を信じることの大切さを強く学ばされた経験でした。悲しみや辛さを乗り越えた時、教会がひとつになったような、深いものを得た思いも共有しました。
多くのことを共に歩ませて頂きました市川八幡教会でした。20年の超える歳月は濃密な信仰を培わせて頂いた時でした。
その間には息子たち、そして主人の信仰告白もありました。また、教会は違いましたが、母や姉や知人も信仰へと導かれました。不思議な出来事・・・否、不思議な出来事ではないですよね。人にはできなくとも、神には出来るとのみ言葉の成就ですから・・・。
後ろ髪をひかれ尽きない思い出の市川八幡教会ですが、新たな旅立ちとして、この花小金井教会での歩みをさせて頂こうと決心しここに立たせて頂いております。
私達の意思で選んだように思いますが、決してそうではありませんね。
神様がここで信仰生活を新たにしなさいと仰っておられるのでしょう
どこを切っても神様に支えられた人生、信仰生活であったと思います。
この教会に出会えましたことに心から感謝いたします。
どうぞこれからよろしくお願い致します。私たちの信仰の歩みを助けてください。
また送り出してくださる,、、くださるであろう T牧師、Y牧師、そして八幡教会の皆さまにも感謝いたします。
すべてに感謝。ありがとうございます。
(2018/3/11)