「福音はとどいていますか」(藤木正三・工藤信夫)の前書きから
<人生の色>
「誠実、無欲、色でいえば真っ白な人、
不実、貪欲、色でいえば真っ黒な人、
そんな人はいずれも現実にはいません。
いるのは、そのどちらでもない灰色の人でありましょう。
比較的白っぽい灰色から、比較的黒っぽいのまでさまざまではありますが、
とにかく人間は、灰色において一色であります。
その色分けは一人の人間においても、一定ではなく、
白と黒の間をゆれ動いているのであり、
白といい、黒といっても、ゆれ動いている者同士の分別に過ぎません。
よくみればやはりお互いに灰色であります。
灰色は、明るくはありませんが暖かい色です。
人生の色というべきでありましょう」
マタイの福音書に、畑に「よい麦」と、「毒麦」の種が蒔かれ育つ、たとえ話があります。
僕たちは「毒麦」を抜き集めましょう、と主人に進言しますが、主人は「借り入れまで、育つままにしなさい」と「毒麦」を抜かせなかった話です。
この世界のどこも、またどの人の心の中も、「真っ白」「100%良い麦」か「真っ黒」「100%毒麦」のどちから一方ではなく、「白と黒」「麦と毒麦」が混じり合った状態のままで、神にゆるされて存在しています。
神さえも「毒麦」を抜かないのに、人が抜こうとするのは、僭越なことです。