いのちがけの救い

週報巻頭言 牧師 藤井秀一
過越祭は、エジプトの奴隷状態にあったイスラエルの民を、神がモーセを通して救出した出来事を祝う祭りです。
救出といっても、神は力づくでエジプトを倒し、イスラエル救出したわけではありません。エジプト王のファラオのもとにモーセとアロンを遣わし、二人を通して神の言葉と力を示すことで、ファラオ自らが悔い改め、イスラエルを解放するように導いたのです。
しかしファラオは、モーセとアロンを通して語られる神の言葉に背きつづけ、しるしとしての災いが襲ったときには、口先で悔い改め、災いが去ればまた反抗をしつづけたのでした。
その神への反抗の末路は、「エジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国の初子」(出12・12)が滅ぼされるという、厳しい裁きとなったのです。一方イスラエルの民に、神は「家の入り口の二本の柱と鴨居」(出12・7)に小羊の血を塗りるように命じます。そしてその神の言葉に従ったイスラエルの家を、神の裁きは過ぎ越したのでした。
「過越祭」(ヘブライ語でペサハ)という名称は、この故事に由来します。それ以降、イスラエルの民は、この神の救いのわざを記念するため、ニサンの月の14日(太陽暦では、3月末から4月の初めごろ)に小羊を屠って焼き、種無しパンとともに食べて、この神の救いを祝い続けるようになりました。
さて、主イエスが十字架につけられる前夜に行った晩さんも、過越祭の食事と深い関連があると考えられています。この晩さんにおいて、主イエスはパンを取り「とって食べなさい。これはわたしの体である」といい、また杯をさして「これは罪がゆるされるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言われました。
この主イエスの言葉のゆえに、イスラエルから神の裁きを過ぎ越すための小羊のいのちの犠牲と、わたしたちを罪の裁きから過ぎ越し、ゆるす、主イエスが十字架上で捧げたいのちの犠牲が、神の救いとして、一つに重なり、イメージされることになりました。
教会は、この晩餐式を行いつづけることで、主イエスのいのちがけの救いを、「主が来られる日まで」証しつづけるのです。

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