奴隷のように働かされて

「この時代に、旧約聖書を読む理由」  牧師 藤井秀一
なぜ、わたしたちは旧約聖書を読む必要があるのでしょう?
旧約聖書に登場してくる、アブラハムやイサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセなどの、イスラエルの民の歴史は、今を生きるわたしたちには関係のない昔話。そもそもカタカナが多く、長すぎる。イエス様を信じるクリスチャンは新約聖書だけを読んでいればいいのではないか?
もし、旧約聖書が、宗教的な目的で集められたイスラエルの律法、歴史、文学の集積でしかないのなら、学問的興味や宗教的教訓として以外に、わたしたちが旧約聖書を読む理由はなくなります。しかしもし、旧約、新約聖書が、神がこの世界を救う救済の歴史(「救済史」)として読まれるものならば、話は違ってくるのです。
さて「救済史」的に聖書が読まれる、とはどういうことでしょうか?
例えを上げれば、旧約聖書の出エジプト記に出てくる「モーセが荒れ野で上げた青銅の蛇」とは、「キリストの十字架をあらかじめ示していたのだ」と解釈されたり、またヨナ書の物語のなかで「三日三晩大魚の腹の中にいたヨナが、腹からはきだされたのは、キリストの復活を示していたのだ」というように、旧約の出来事、歴史を、イエスキリストの救いにおいて解釈理解する読み方(「予型論」といいます)などを含む聖書の読みかたです。
例にあげた旧約聖書の読み方を、イエス様ご自身がなさっています。新約聖書はそのようにして、旧約聖書の歴史を、イエス・キリストにおいて成就した救いの「予型」と読み説いているのです。
そこから、旧約の「創世記」に始まり、新約の「黙示録」におわる、聖書に記された出来事、歴史は、神が導いておられる「神の救い歴史」と理解されてきました。そして、そう信じるからこそ、今この時代にあって、いやむしろ、先の見えないこの時であるからこそ、アブラハムから始まった「神の救いの歴史」を、今こそ読むことで、わたしたちもまた、神の救いの歴史の一部を生かされていることに、気づいて、勇気と希望をいただきたいのです。

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