すべての人と平和を

「『できれば』それとも『できる限り』?」(2021年8月29日週報巻頭言)
「平和」をテーマにみ言葉に聴き続けてきた8月の礼拝も今日で最終週です。
今日の礼拝で読まれる箇所は、使徒パウロがローマの教会に宛てて書いた手紙の一部です。
パウロはローマの教会の人々に向けて、こう書きました。
「できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい」
(ローマ12:18)
ちょっと消極的な言い回しのように響きますね。「できれば、せめて・・」というのですから。「平和」をつくることの困難さを知るパウロゆえの、表現なのでしょうか?
ただ、以前の口語訳聖書では
「あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい」と訳されていました。
「できる限り」ですから、かなり積極的な表現です。さらに古い文語訳では
「汝(なんじ)らの成し得るかぎり力めて凡(すべ)ての人と相(あい)和(やわら)げ」となっています。
「成し得るかぎり」「つとめて」と畳みかけるような、積極的な表現になっています。
原典のギリシャ語では「もし可能なら」という言葉が使われていますので、新共同訳が「できれば」と訳すことに問題はないのです。しかし一方で「成し得るかぎり力めて」と訳す、明治のキリスト者の「平和」に向き合う心意気に、心惹かれます。ちなみに新改訳聖書は「自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい」と訳されており、解釈の違いが表れている箇所だといえます。
こうなってくれば、どの翻訳が正しいのかという話ではなく、いったい私たちは「平和をつくる」生活というものを、「できればやりましょう」なのか、「成し得るかぎり力めて取り組みましょう」なのかが、問われてくる話のように、思えてきます。
ちなみにリビングバイブルは「だれとも争ってはいけません。できるかぎりあらゆる人と仲よくしなさい」と訳します。私はこのまっすぐな言い方が、一番ぐっときます。

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