週報巻頭言「福音と癒し」 牧師 藤井秀一
福音書はしばしば主イエスの福音を、病の癒しの出来事と共に伝えます。
有名な教えである「山上の説教」は、その前後を、病を癒す主イエスの出来事で挟んでいます。
またマタイの11章では「来るべきき方(メシア)は、あなたでしょうか」という牢獄のバプテスマのヨハネの問いに対し「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き・・・」と主イエスは答えることで、神の国の福音を伝える主は、同時に癒す方であることを宣言しています。
メシアを信じ、神の国に入るということは、死んでからの話である前に、今、健やかになることであったのです。
言い換えるなら、主イエスの福音とは、魂だけの救いを越え、心と体の全体としての人間を、健やかに生かす力であると言われています。
この主イエスの福音を信じる信仰は、まず一つ目に、神に向かって親しく「父よ」と呼ぶことができるようにしてくれます。病の恐れに心が支配されそうなときも、天の父がいつも共にいてくださるゆえに、「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩編23編4節) と生きぬく力が得られます。
そして二つ目に、主イエスが病を癒されたということは、病は通常の状態ではなく、神は人が健やかであることを望み、今も働いておられると信じて、「祈る」ことができます。その意味で、現代医療の発展もまた、人を愛し健やかにしようと働かれる、神の癒しの働きととらえることもできます。
それでもなお、だれも「死」をまぬかれた人はいません。たとえ福音を信じる信仰によって、神に愛されている子であることがわかっても、最後には「治らない病」を受け入れる日がきます。しかし神の御子である主イエスもまた、私たちと同じように、いやそれ以上に人としての「死」を経験し、そこから復活させられました。ゆえに、主イエスの福音を信じる信仰における、大切な癒しの三つ目とは、私たちの「復活」の希望なのです。
https://youtu.be/NvKlqKWhu2c