主の祈り②御国が来ますように

「御国が来ますように」(2021年9月12日週報巻頭言)藤井 秀一
9月の礼拝は、主イエスが教えてくださった「主の祈り」の、一つ一つの祈りの言葉に、深く向き合っています。今日の祈りの言葉は「御国が来ますように」です。
「御国」とは「神の国」のことです。「国」と訳された原語は「支配・統治」という意味ですから、この世界を「神が王として支配・統治」することを求める祈りと言えます。
イエス様の教えの中心は、「神の国」「天の国」でした。「天の国は次のようにたとえられる」と、数々のたとえ話によって、人々に「神の国」について教えられました。
イエス様が語られる「神の国」のイメージは、当時のイスラエルの人々が期待していたであろう「神の国」とは全く違うものでした。長く異教の国ローマに支配されてきたイスラエルの民にとって、「神の国」「神の支配」が実現すれば、ローマから独立し、自分たち神の民こそが、異教徒を支配するはずだと、信じていたからです。
そのようにして、自民族と「神の国」を同一化するとき、悲劇が起こります。イスラエルは無謀にも、大国ローマとの戦争に突入、AD70年にエルサレムの町も神殿も壊滅してしまいます。また日本もかつて「神の国」と信じさせられ、神の国には「神風」が吹くのだと、大国アメリカとの無謀な戦争に突入した悲しい歴史を思い起こします。
人間によって作られたあらゆる組織と、「神の国」「神の支配・統治」は、同一化されてはなりません。それは教会という「組織」についても、同様です。
さて主イエスが教えてくださった「神の国」「天の国」のたとえ話の中に、ぶどう園の主人が労働者を雇う話があります。
朝早くから雇われた労働者も、夕方仕事が終わる直前に雇われた労働者も、主人は一日分の賃金を支払ったというたとえ話です。
当然、朝から働いた労働者は主人に文句をいいます。しかし、主人はちゃんと一日分の賃金の支払っているのですから、なんの約束違反もしていない。むしろ少ししか仕事をしなかった労働者にさえ、一日分の賃金を渡さずにはいられない、気前のいい主人だったのです。不満をいう労働者に、主人はいいます。「自分のものを、自分がしたいようにしては、いけないのか」と。
この憐れみ深く、気前のいい主人こそが、私たちの神であり、「神の国」「神の支配」とは、このような現場なのだよとイエス様は言われるのです。
ああ、この優しさを見失った殺伐とした世界に、どうか「御国が来ますように」。

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