「自由の道しるべ・十戒」
(2020年9月20日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)
毎週礼拝において読み進めてきた出エジプト記もいよいよ佳境に入ってきました。
今日読まれる個所は、エジプトから出発して3か月。シナイ山のふもとに到着したイスラエルの民に、預言者モーセを通して「十戒」「十の言葉」が与えられた個所になります。
さて実は、「十戒」の第一戒の言葉をどこから始めるのかは、プロテスタントの中でも「ルター派」と「改革派」にはすこし違いがあると言われます。
ルター派は「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(20章3節)から始めますが、改革派はその前の2節の言葉「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」から始め「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」までを、第一戒としています。
この2節が「十戒」の外か、内か、という違いは、一見小さな違いのようですが、実はかなり意味合いが違ってくるのです。
2節を外した「十戒」は、普遍的な神の「掟、戒め」という性格になり、これを守れない人間の罪が強調されることになります。ルター派では、人間に罪を自覚させる役割として、律法を理解するからかもしれません。
一方、改革派教会では、主イエス・キリストによって、罪ゆるされ、救われた人が、その人生という荒野の旅を、どのように生きるのかという「道しるべ」として「十戒」を理解しているようです。
そのような理解を可能にする根拠が「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」とはじまる2節の言葉なのです。
エジプトの奴隷から救い出し、神を信じる自由の旅へと導かれた民が、エジプトに逆戻りしたり、行くべき道を外すことのないようにと、荒れ野を旅する「道しるべ」として語られた「十の言葉」。それが「十戒」と理解するなら、今、このコロナ時代という荒れ野を旅するわたしたちにとってもまた、「自由の道しるべ」としての「十戒」の言葉に道を示されつつ、一歩一歩、主にある自由の道を歩みつづけたいと願うのです。
https://youtu.be/VR45mRxrLiU