神の約束に立つ祈り

「罪の増し加わるところにこそ」(2020年9月27日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)
主日礼拝において、毎週、出エジプト記を読み進めています。
エジプトの奴隷状態から、神が立てた預言者モーセに導かれ、荒れ野へと脱出したイスラエルの民。彼らはその荒れ野の旅の最初から、旅の困難さを前に、エジプトに戻りたいとつぶやいては、モーセに不平不満をぶつけていました。
モーセはそのイスラエルの民の不満を聞いては神に祈り、神と民の間にはいって、民がエジプトに逆戻りしないように、行くべき道を間違えないように、導き続けてきたのでした。そして3か月経って、シナイ山の麓に到着した民は、そこに宿営し、モーセだけが山に登り、主から「十の言葉」「十戒」を受け取ることになります。
ところがモーセの帰りが遅いと不安になったイスラエルの民は、祭司アロンに詰め寄り、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。」と言い、アロンは民が身に着けていたエジプトから手に入れた金の耳輪を集め、「金の子牛」を造り、民は「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と、金の子牛を礼拝するに至るのです。
新約聖書の使徒言行録7章にある、ステファノの説教において、この出来事はこう語られています。「先祖たちは・・・・エジプトをなつかしく思い、アロンに言いました。『私たちの先に立って導いてくれる神々を造ってください』」イスラエルの民が「金の子牛」を造るに至った理由を、新約聖書は、「エジプトをなつかしく思った」と語ります。新約聖書に於いて「エジプト」が象徴しているのは、「奴隷状態」であり、「主」ではないものに支配され、導かれることと言えます。「金の子牛」礼拝は、エジプトへの逆戻りであり、自由を与える「主」の語りかけ、導きへのNOでした。
しかしこの出来事の最も重要な点は、これほどの罪を犯した民さえ、主は滅ぼされなかったことにあります。そこにおいて起こったことは、ずっと民と神の間に立ち続けてきたモーセのとりなしの祈りでした。
「罪の増し加わるところには、恵みもみちあふれた」(ローマ5:20)と告げる「福音」を思う、モーセの祈りが胸に迫ります。

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