「なにを目指せばいいのでしょう」(2017年7月9日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

教会に「こうなったらいいな」という幻がなければ、今、なにをすればいいのかもわかりませんね。企業は利益が目的の集まりなので、営業利益という数値目標を立てることができますが、教会は主イエスを信じる人々の集まりなので、数値目標のようなものは、幻にはなりません。

むしろ主イエスを信じる人々のなかにあらわれる人格や関係性など、数字に表現できないものこそが、教会の本質です。ですからたとえば、「自分に失望していた人」が「神に愛されている自分の価値を見出して、活き活きと歩み始める」とか、「人がゆるせなくて苦しんでいた人が、神に赦されている自分をみいだして、人をゆるせるようになった」とか、「教会にきた新しい人との出会いのなかで、神様から新しい気づきを得て、互いに成長できた」とか、そのようなひとり一人の内面の成長や、互いの関係性のよい変化によって、主イエスがその生き方をもって示された、「共に生きる神の国の豊かさ」を証することが教会の本質なので、これは数字にはならないわけです。

ただ、そのような人格や関係性という、目に見えにくいところが変化するなかで、結果的に礼拝に集う人が増えるなど、数字としてあらわれることもあるかもしれませんが、

それは副産物であり、本質ではありません。本質は、目に見えない部分にこそあります。

そして教会において、本質的に重要でありながら、もっとも見えにくく、おろそかにされがちなのが、「祈り」ではないでしょうか。

ですから、私たちの今年度の幻は、「主にあって互いに語り 祈り合おう」なのです。

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