「天のありか」(2016年10月23日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

青虫が生きている世界は、地面を這いつくばり、葉っぱを食べる世界。青虫に見えるもの認識できるものは、目の前のことだけ。まるで葉っぱが世界のすべてであり、それを食べることが生きる目的のように青虫は生きています。

しかし時が来てさなぎとなり、「蝶」に生まれ変わって空に羽ばたく時、青虫は悟るのです。「ああ、あの頃は、目の前の葉っぱしか見えなかったし、それが世界のすべてだと思っていた。しかしなんと自分のいた世界は素晴らしい世界だったのだろう」と。もちろん世界が変わったわけではないのです。ただ青虫には、それが見えていなかっただけ。

 わたしたちも今、この青虫のようです。自分が認識している世界だけがすべてであるかのように、目に見えることに一喜一憂して、生きています。

しかし、やがて地上を這っていた青虫とは違う次元へ、新しい体をまとい、「蝶」のように舞いあがる時、わたしたちはきっと気づくのでしょう。

主イエスや召された人々のおられる天が、こんなにそばにありながら、ちっとも見えていなかったのだと。

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)

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