人はなぜ、何のために祈るのでしょう。ある断想を紹介します。
「祈り」
祈ったところで現実は少しも変わらないではないか、それよりは具体的な行動を起こすことこそ祈りではないか、とよく批判されます。しかし、これは祈りに対する誤解であります。祈りは問題解決の手段ではなく、問題の渦中で自分が失われないように自分を守ることなのです。具体的に効果があるか否かという観点だけで現実の諸問題に直線的に対応していると、人は平板に拡散してゆくものです。この拡散に抗して、人間として自分を守る凝縮作用が祈りであります。祈りは問題解決の手段ではなく、実はその前提であるのです」
(「灰色の断想」藤木正三 P.107)
問題を取り除くことよりも、むしろ問題の渦中で自分が失われないために自分を守るために祈るのだ、という指摘にハっとさせられます。
使徒パウロも、問題に直面した教会に、問題の解決を超えた「祈り」の約束を教えています。
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心を考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」
「祈り」は人を神に近づける、人間に最もふさわしい心の姿勢。人は人ゆえに、祈るのです。