2023年2月26日主日礼拝ダイジェスト

「悔い改めの祈り」   藤井 秀一

2月22日(灰の水曜日)から教会暦で受難節(レント)に入りました。「レント」という言葉は「日が長くなること」を意味し、イースター前の準備の期間とされてきました。レントの期間は日曜日を除いた40日間であり、40日という期間は主イエスの40日の断食と祈りの記事からきたものです。

歴史的にレントの時期は、教会と一人ひとりの霊的な整えの時として、キリストの生涯に照らして自己吟味や節制、黙想、聖書の学びや祈りの時が持たれてきました。

今日の礼拝では、ダビデの悔い改めの祈りと言われる、詩編51編のみ言葉に耳を傾けます。そのことを通して与えられる気づきをとおして、私たちの霊性と祈りが整えられることを願っています。

 

さて詩編51編にはこのような表題がついています。

「・・・ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき」

これは、サムエル記下11章に記される、ダビデ王が、彼の部下ウリアが出兵中に、彼の妻を奪い、姦淫を行い、その罪を隠ぺいしようと、ウリアを策略によって殺害した出来事が背景になっています。古代においては、王の権力は絶対であり、他国ではこのような罪は問題にされなかったとしても、イスラエルにおいては、王であろうと罪は放置されません。なぜならイスラエルの王の立場は、主の委託下にあったからです。

「主はナタンをダビデのもとに遣わされ」ました(サムエル下12:1)。ダビデの前に現れたナタンは「多くの羊や牛を持つ豊かな男が自分の羊をつぶすのを惜しみ、一匹の羊しか持たない男の羊を取り上げ、それを客に出す」というたとえ話を語り、ダビデが「そのような無慈悲なことをした男は死罪にされるべきだ」と叫ぶと、「その男はあなただ」とナタンはダビデに宣告したのです。

この言葉にダビデは頭をたれ、告白します。「私は主に罪を犯しました」と。そして「神よ、わたしを憐れんでください」(詩編51)と祈り始めます。

ロシアとウクライナの争いが終わりません。会社でも家庭でも、自分の正しさを主張する人々の争いが絶えません。神の前に互いに「私は主に罪を犯しました」「神よ、わたしを憐れんでください」と祈ることのできる恵みとその尊さを、今こそ思うのです。

 

https://youtu.be/71Li0vNVnQ4

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