「あなたに会いたい」(6月21日週報巻頭言より) 牧師 藤井秀一
1974年の郷ひろみのヒット曲「よろしく哀愁」のサビの歌詞は「会えない時間が、愛 育てるのさ、目をつぶれば君がいる」でした。確かに「会いたい」と願う気持ちのこと を「愛」と呼ぶのなら、その「愛の気持ち」は会えない時間のなかでさらに強くされて いくことでしょう。 北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんの父親、滋さんが6月5日、亡くなられまし た。43年間というとてつもなく長い時間を、横田滋さん・早紀江さん夫妻は、ひたすら 救出活動に費やされました。ただただ、めぐみさんに「会いたい」という一心で。
会いたい人と会えなくされてしまう、という出来事は、私たちの人生において、しば しばある日突然訪れます。今年の初めころ、だれがいったいコロナによって、教会で互いに顔を合わせ、握手をし、食卓を共にすることができなくされると思ったことでしょ う。「会いたい」という気持ちを募らせることになると、だれが予想したでしょう?
さて6月から礼拝においてテサロニケの信徒への手紙を読み進めています。 使徒パウロとシラスがテサロニケの町に福音を伝えた数週間の間に、主イエスを信じる人々が起こされ、町に初めての教会が生まれます。ところが、テサロニケにいたユダ ヤ人は、パウロの言葉を受け入れないだけでなく、その福音を信じた人々を、激しく迫 害しました。パウロとシラスは、もはやテサロニケの町にとどまることはできないと判断し、次の町ベレヤへと逃れたのです。しかし、自分たちが語った福音によってクリス チャンになった人々を、激しい迫害の場に置き去りにして、その場所から離れなければ ならなかったパウロの心の痛みは、いかばかりだったことでしょうか? パウロはその後、アテネやコリントの町で福音を語り、たくさんの人々と出会い、コ リントには新たに教会も生まれました。でもいつも彼の心の中には、テサロニケに残していった人々のことがありました。パウロは手紙にこう書き記します。「わたしたち は、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして・・」「母親がその子供を大事に育 てるように、わたしたちはあなた方をいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです」。パウロはテサロニケの 人々に会いたくて仕方がないのです。親が我が子に会いたいと願うように・・。しか し、テサロニケの人々は、自分たちを置いて立ち去ったパウロに、会いたいと願ってくれるのでしょうか? パウロは不安だったのではないか?その答えは礼拝にて・・。
https://youtu.be/bCkKndX2chA