「作り話のために人は死なない」(2018年4月15日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

geralt / Pixabay

イエスさまが十字架で死なれたとき、イエスさまの弟子たちは絶望し、彼らの活動は完全に停止しました。

ところが、十字架から間もなくして、彼らは自分たちの仕事をやめて、再び集まります。

それは、十字架に死んだ主イエスは復活し、自分たちに姿をあらわされた。この方こそ救い主、メシアであると伝えるためでした。

彼らはこのメッセージを伝えていくことに、残りの人生のすべてをかけたのです。

普通に考えて、彼らがそんなことをするメリットは何もありません。

その証言活動によって、食べていけるわけでもありません。

それどころか、その活動のおかげで多くの試練にあい、馬鹿にされ、牢獄につながれ、彼らはみんな殉教していったのです。

なんのために彼らはそんなことをしたのでしょうか?

人は、自分の仕事や立場を守るためになら「作り話」さえします。

今の政治家の言動がまさに物語っています。

しかし仕事も立場も失い、馬鹿にされ、牢獄につながれ、殺されるために、「作り話」を語り続ける人々など、この世にいるでしょうか?

「弟子たちは、本当に復活した主イエスと出会った。」

これだけがこの問いの答えです。

関連記事

  1. あとは任せて

  2. 「仏壇は偶像か」(2018年1月28日週報巻頭言 牧師 藤井…

  3. 「復讐か平和か」(2018年8月26日週報巻頭言)  牧師 …

  4. 行く手に立つイエス

  5. 心静めて

  6. 2022年10月30日特別賛美礼拝