こんな寓話を聞いた事があります。
あるとき動物たちが学校をつくりました。
動物たちで話し合いカリキュラムを決めます。
かけっこ、木登り、水泳、飛行という科目をつくって、その全ての科目を受講することにしたのです。
アヒルは水泳が得意でしたが、かけっこができなかったので、放課後残ってまでかけっこの練習をしました。
その努力のおかげで、彼の足の水かきがひどく傷つき、得意だったはずの水泳までがおそくなってしまいました。
さてウサギは、かけっこではクラスでいちばんでしたが、水泳が出来ず、無理やり頑張って泳いだので、足の筋肉を使いすぎて、得意だったはずのかけっこまで遅くなってしまいました・・・。
たわいのないお話のようですけれども、この寓話が物語っている教訓は大切です。
神様によってデザインされた私たちは、それぞれに違い、それぞれに違った賜物、能力、そして情熱が与えられていて、その賜物と情熱にしたがって働くときに、与えられた本当の力を発揮できるのではないでしょうか。
パウロは教会をキリストの体に譬えて言います。「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。」(1コリント12:14:18)
一人一人が、神様に造られたその人らしくいてもよく、だれもお互いを否定せず、変えようとせず、尊敬しあい、それゆえに互いに互いを必要とする関係。
同じ聖霊をいただいている集まりの奇跡。
これすなわち「教会」です。