「共に主の前に立つ祈り」( 2016年7月3日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

先日訪ねた沖縄の地で、わたしは平良修牧師という方と出会いました。平良牧師は、宮古島生まれ。高校時代、主イエスと出会い、東京神学大学を経て牧師となり、沖縄の嘉手納基地近くの教会へ赴任。その後、アメリカ留学中に黒人の公民権運動をじかに目にし、自分が米軍統治下で苦しむ人々の大勢いる沖縄の牧師であることが問われ、やがて小さい者、弱い者、虐げられた者に寄り添い歩んだ、主イエスの道に従う決意をなさいます。

その決意を決定的に表明した出来事がありました。1966年11月2日、当時アメリカの占領下における沖縄で、絶対的な権力者であった高等弁務官の交代に伴う就任式において、祝福の祈りをするように招かれた平良牧師は、こう祈ったのです。

「神よ、これが最後の高等弁務官になりますように」

「神よ、沖縄には、あなたのひとり子、イエスキリストが命をかけて愛しておられる100万の市民がおります。高等弁務官をして、これら市民の人権の尊厳の前に深く頭を垂れさせてください」

「強い者か弱い者か」「豊かな者か貧しい者か」「親か子か」「しゅうとめか嫁か」

この地は「支配しようとする者、されてしまう者」という関係に満ちています。

しかし、主イエスと出会ったものたちが、共に主の前に立つならば、

もはや「支配する者、支配される者」とはなりえない。主にあって対等なのだ。

この平良牧師の祈りは、その信仰の確信から祈られた祈りではないでしょうか。

「父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。」ルカ12章53節

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