2023年2月19日主日礼拝ダイジェスト

「天地を造られた主のもとから」   藤井 秀一
2月の礼拝では、旧約聖書の「詩篇」から、いにしえの信仰者の祈りの言葉に耳を傾けています。

「詩篇」は、カナンという世俗的で異教的な社会環境の中で、ヤハウェの神を主と仰ぎ、賛美し、祈りつつ生きた、イスラエルの民の生活が生み出した歌であり、彼らの信仰経験や宗教体験を詩的に表現したものと言われています。
同時代のイスラエルの周辺の諸国の民も、それぞれの生活の中で、自分たちの信仰の歌を作っており、それらは文献として残っています。彼らの作った歌も様々な人生経験の中から表現され、詩篇と共通する点も多くあります。しかしイスラエルの周辺諸国の民の歌には、人生のはかなさを美化していたり、この世の生活の苦しさのゆえに来世を求めるという世界観や人生観が表れていると言われますが、イスラエルの「詩編」はその点において、創造主であり絶対者であるヤハウェの神を信頼する、神の民の信仰と賛美、祈りの言葉に貫かれています。
さてひるがえって日本においては、古代から故人の霊が山にいて、村を見渡し、彼らの生活を見ていると信じられてきました。時間が経つと、それらの霊は「山の神」になり、干ばつの時には、山に向かって祈りが捧げられ、墓地は山に作られました。
日本人の「山の神」崇拝は遠く古代縄文時代まで遡り、平安時代には「山の神」崇拝が発展し、修験道の実践者は「山伏」と呼ばれました。山の霊的な力を受けるために、地面に「伏」して触る儀式から「山伏」と呼ばれたのです。そのように、古来日本における救いの力は、山からやってくると信じられていました。
しかし、平安時代よりはるか古代に生きていた詩編の記者は、こう歌ったのです。
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから」(詩編121編1節)と。
まさに、天地を造られたヤハウェの神と出会い、数々の救いを経験してきたイスラエルの民の、他にはない信仰と賛美と祈りの集大成。それが「詩編」なのです。

 

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