「私たちの立ち位置」(2017年4月2日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

 今、私たちは主イエスの受難を覚えるレントの時期を過ごしています。

今日の礼拝で読まれる箇所は、権力者たちに捕らえられた主イエスに向かって、民衆が「十字架につけよ」と叫ぶ箇所です。

 人の残酷な側面に向き合わされる、心の痛む場面です。できるなら立ち止まらないで、さっと読み過ごしたい箇所かもしれません。

しかしこの民衆が、自分の期待通りではなかったイエスに向かって「十字架につけよ」と叫ぶ姿は、私たちが自分の思い通りに動かないあの人この人を批判し、悪くいうのとそれほど変わらない姿として、まっすぐ向き合うべき箇所でしょう。

そして大切なことは、主イエスは「十字架につけよ」と叫ぶ側にではなく、叫ばれる側に立っておられることです。

捨てる側ではなく捨てられる側に、傷つける側ではなく傷つけられる側に、常に主イエスは立たれます。

そのイエスの傷によって、人が癒やされ、イエスの死によって、人に永遠の命がもたらされ、イエスが見捨てられることによって、互いに赦しあい愛し合う、新しいコミュニティーが生まれたのです。

主イエスは神がこの地に遣わされた救い主、傷ついた癒し人。

その主イエスに従う人の立つ位置は、「十字架につけよ」と叫ぶ側ではなく、叫ばれる側であり、その傷、悲しみが人々を癒し、互いを繋ぐ宝となることを知る、

そんな立ち位置なのです。

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